豊病コラム
「最近のロボット手術普及について思うこと」
泌尿器科 渡部淳
1.とあるOB会にて
先日、私が医師として最初の5年間の研修を行った、京都市立病院泌尿器科のOB会に出席した。当時診療部長をしておられたH先生(現在は市内で開業されている)の人柄を慕い、門下生たちが、今も年1回定期的に集まり、勉強会と近況を報告しあっている。当時20歳代後半だった私が、テレビゲーム(=プレイステーション)にはまりすぎて、ある種ゲーム廃人のような生活を送っていたことが思い出話として場を盛り上げることとなった。“おまえあの頃週末食事もせずずっとゲームしてたよなあ”、とか、“教科書読んでいるのかと思えばいつもゲーム雑誌読んでたよなあ”、とか、先輩たちに散々いじられるなかで、「でも、ああいう生活をしてたのも、ラパロやロボット手術ばかりの今となっては、随分役に立ってるんじゃないの?」と、ある先輩がフォローとも突っ込みともつかない事を言った。はて、言われてみれば確かにテレビゲームの経験値とラパロ手術の習熟速度に相関があるという論文は知られている。実は私は、「ああ、若い頃ずいぶんもったいないことをした、ゲームをする時間を全部糸結びの練習に回していれば、もっともっと手術がうまくなっていただろうに・・・」と、ゲーム三昧の日々をずっと後悔していたのだけれど、この日を境に「あの頃のあの時間は意外に役に立っていたのかも」思えるようになったのだった。
2.今時の・・・・
開腹手術ばかりだったH先生の世代からすると、開腹手術~ラパロ手術~ロボット手術の導入と、10年サイクルで大きく進化する手術を経験できている私達の世代は実に要領がよく見えるらしく、「やつらが上手く順応できているのには何か理由があるに違いない、それはテレビゲームじゃないのか?」みたいな仮説生成がなされているのはなんとなく想像できる。一方、私たち50代は50代で、「今の30歳前後の若い人たちは、ラパロやロボットのスキルアップが早いよなあ~」というような話をしている。これについては、私は最近の高画質でリアルなゲームに慣れている事が良い影響をもたらしているのかな、と考えている。子供の頃からテンポの速いモニターの映像に慣れ親しんでいることは、やはりなにか最近の腹腔鏡手術の習得に良い影響をもたらしていることはあると思うのだ。実際、以前聞いた講演では、テレビゲームの中に含まれているラパロ手術上達に貢献しうる要素として、「視覚情報処理(鉗子先へのフィードバック含む)の高速化」が挙げられていた。平たく言うとゲームをしていたら目で見たものに反応するのが早くなる(反射神経が良くなる)ということにでもなるのだろうか。
3.ゲームプレーヤーVSロボット手術オペレーター
ラパロ・ロボット手術は、言い換えればモニター手術だ。詳細な術野の情報が大きなモニターに映し出され、大量の情報がその場にいる皆に開示される。更に最近はモニターも解像度がアップし、4Kや将来は8K、はては3D技術のものも登場し、術野の解剖学的情報も、臓器・血管・神経などという単位から、膜や層というレベルにまで細かくなっている。ビデオ画像のファイル容量が軒並みギガバイト単位になっていることからも、いかに大量の情報が術者の目から脳に流れ込んでいるのかがわかる。これは、開腹手術において視覚情報のみならず術者の(患者に対する)立ち位置、特定の部位の操作の際にどう体を入れるかというような位置覚情報や、臓器をよけて術野を作る左手などの触覚情報等々、多様な情報を基に手術が成り立っていたのとはかなり様子が異なっている。すなわちラパロ・ロボット手術というモニター手術においては、術者が患者から得る情報の中で、視覚からの情報への依存が圧倒的に高くなっているのだ。特にダビンチによるロボット手術においては、現状まだ鉗子に触覚のセンサーが無いため、どの臓器をどのくらい押しているか、糸をどのくらいの張力で引っ張っているか、といった、本来なら触覚の情報であったものすら視覚情報のみから判断せざるを得ない事も多い。そんな中ふと思ったのだが、瞬きする事も忘れ、美しいテレビモニターを凝視する最近のゲームプレーヤーと、ロボット手術のオペレーターは、情報処理を行うプロセスは実はよく似ているのではないだろうかということだ
4.第1助手
先のOB会でも話題になっていたが、昔は内視鏡手術の技術習得が本当に大変だったと聞く。モニターを介した視野の共有がなされず、術者にしか手術の現場が見えないので、研修医達は、内視鏡を持っている術者の体の動きからやっていることを想像していたというのだからその苦労が偲ばれる。その後はティーチングスコープの導入、大画面モニターによる視野の共有と、手術室での術野の視覚情報の共有が進んでいった。また、映像の録画再生が可能になり、いつでもどこでも、そして何度でも、名人の手術を見て学べるようになっていった。このビデオ学習による反復は、外科医のスキルアップにとって本当に重要な事だと思う。一般的に豊岡病院の様な大きな病院の泌尿器科は、部長を先頭に4~5人の医師で構成される。このうち3~4人で手術チームを組むわけであるが、そのうちで、開腹手術でちゃんと術野が見えているのは術者と第1助手くらいのものだ。その第1助手に選ばれる優秀なスタッフは、手術の大事な場を見せてもらえてコツを早く教えてもらえる。ではその他の術者達はというと、術野を見るのをあきらめて一生懸命こうを引く。正直言うと、こうばかりひいていた当時の自分は「手術記録書けと言われても書きようが無いでしょ、見てないんだから」と言う様な不満を、いつも持っていた気がする。そしてそのような体制下では、一人の“できる”外科医と、大勢のそれほど出来ない外科医を生んでしまう傾向があったのではないかと思うといったら言い過ぎだろうか。
5.モニター情報による手術革命:能力の均質化と選手生命の長寿命化
ラパロ・ロボットなどのモニター手術は術者以外の人たちにも公平に術野情報をもたらすようになった。そしてこの視覚情報の共有化が、外科医間の格差も解消してくれたように思う。つまりこれらのモニター手術は、手術の創部を小さくするなどの低侵襲化に加え、術野情報や手術手技情報の可視化・共有化を通じて標準化された、手術の普及・外科医の能力均質化を促進してきたとも言えるだろう。こういった教育・学習環境の整備が進んでいる事も、より若い世代で手技の習得が早くなってきた理由のひとつにあげられるように思う。
ロボット手術が普及していくことで、外科医の選手生命が延びるのでは、とよく言われる。確かにコンソール(手術操作のためのコクピット)に座って3Dのモニターを見ている限り,汗もかかないし腰も痛くなることはない。ただ、実際には、2~3時間の手術でも、終わると目が疲れていることに気づく。たとえば当院でも始めたロボットによる膀胱全摘出術になると、リンパ節郭清も含めると4~5時間は確実に画面をのぞき込んでいることになり、実際手術が終わるとひどく眼の負担を感じている。ある研究によると、ロボット手術のコンソール術者はまばたきしていない時間帯が相当に長いそうだ。眼は、年齢により急速に能力が落ちてゆく臓器のうちの一つである。実際70歳になって、私がコンソールに座って手術が出来ているかと言うと相当難しいのではないだろうかと思う。一方2020年8月に市場に登場した国産手術ロボット「hinotori」の鉗子には、触覚センサーもついていて、実際に手術をしている感じにだいぶ近づいているらしい。今後さらに技術が進み視覚情報以外も得られるようになれば、術者の眼精疲労も幾分かは緩和されていくのだろうか。
6.Nintendo Switch
手術ロボットは、更に正常に進化すれば、ナビゲーションシステム・危ない操作時の緊急停止システム機能等、現在急速に進んでいる自家用車安全運転システムの進歩と同じような道をたどるのではないかと言われている。そこまで行くと、年老いた私の手術でも受けてくれる患者さんもいるかもしれないなと思う。ただ、それだけ機械のサポートレベルが上がったとき、はて外科医として手術そのものが、面白くやりがいのあるものであり続けるかどうかはわからないが・・・・
生産や医療などの現場では、技術革新が進めば進むほど労働者の疎外が進むと言われる。将来は自動車の自動運転が普及して職業運転手が減り、進化した産業用ロボットの普及で工場は徐々に無人に近づくとされる。外科医の仕事は当分なくならないだろうと思っていたのだが,昨今の各分野における急速なAIの導入やロボット化のスピードをみていると30年後にはどうなっているかわからないなと正直思う。ある日、思ったことがある。Nintendo Switchに夢中になっているゲーム好きの小学生の息子の背中をみて、こいつは大人になったら何をしているんだろう。「将来お前が選ぶなんらかの仕事が、お父さんみたいに(たまたま)何かの役にたっていればいいんだけどな」